【インタビュー】荒堀正生副園長
2026/04/21
ーまずは京都府立植物園の歴史についてお伺いしてもよろしいでしょうか。 当園は大正13年1月にオープンしました。元々は大正天皇のご即位に合わせて博覧会をする計画でしたが、計画が変更になって、日本を代表するような植物園を作ろうということになったと聞いています。
第二次世界大戦後は、連合軍に全面接収されまして、軍の家族住宅として使われ、樹木が大量に伐採されたりと大きく様変わりしました。1957年に返還された植物園には、1/3〜1/4くらいしか木は残っていなかったんです。ただ、返還後に市民の皆さんの強い要望をいただいて再開園が実現しました。現在の植物園の木々にはその時に植え直したものも多くあります。再開を望んでいた市民たちの様子は川端康成の小説『古都』にも描かれており、うかがい知ることができます。

ー植物園の特徴について教えてください。
1つは、多くの府民の皆さんに支えられていることですね。現在、100名を超えるボランティアの方々が登録されていて、広大な園内の様々な管理作業などを手伝ってくださっています。地域の人々にかわいがって支えていただいていること、本当に有難くすごいなと思うんですよ。歴代の先輩職員や多くの方々による手入れのおかげで植物は のびのびと育ち、園内は心地よい森のような雰囲気です。戦前に植えられ大きく育ったタイサンボクなどは、自然の樹形を大切に維持しているので、枝が地面に近いとことまで伸びて、車いすの方でも手を伸ばして触れたり、花の香りを楽しんだりできるほど近くに感じられるんですよ。
もう一つは、開園当初から集められてきた約1万2000種類もの植物のコレクションがあることです。園内には巨大な温室がありますが、国内初めて開花に成功したような事例がいっぱいありますし、桜の品種コレクションに関しては、180品種500本もあって生きた桜の図鑑という評価もいただいております。
ー荒堀さんが、4月に植物園に赴任されて改めて発見などはありましたか。
園内を見ていると結構、可愛い植物がいっぱいあったり、 植物にまつわるそれぞれの歴史が深いだけに、物語があるんですよ。例えば植物園会館の近くに、大きくて古いハナミズキの樹があるん です。その昔、日露戦争終結後、アメリカが日露講和の仲介に入ってくれたんですね。まさにその頃、日米友好の思いを込めて日本からアメリカに多くのが贈られました。それでワシントンのポトマック河畔には、今も桜並木があるんですが、向こうからそのお返しに送られてきたのが、このハナミズキといわれます。

ーすごいですね、実際に送られてきたものが、ここにあるんですね!
はい。今そこに植わっているのは2度目に送られて来たものの一部と伝わります。その時『アメリカシャクナゲ』も桜と一緒にいただいたんですが、これがとても可愛い植物なので大好きになりました。ぜひ園内で見てみてください。
ーでは最後に、次の100年に向けて取り組んでいきたいことなど、荒堀さんの思いを教えてください。
今、京都府の中にどんな植物が生育しているのかをまとめる仕事をしています。 今ある植物が10年後どうなっているか、その時期や場所にあるのか無いのか、そういうことを後で検証できるように『京都植物誌』なるものの編纂プロジェクトに取り組んでいるんです。
私は、植物園に赴任する前は山や森林の関係の業務を担当していました。私が京都府に採用された頃の府内の森と比べますと今は、鹿の生息密度が増えて林の中の植物を食べすぎてしまい、植生状況が劇的に変わっていってるんですよ。それもあって、場所によっては私たちが気づいていない間に相当の植物が絶滅してるんじゃないかと心配になります。気候の変動もありますし、災害の危険性も高まってきます。そういう意味でも、植物園として、植物誌の編纂は次の100年に向けた重要な役割だと感じています。私たちがどのような問題意識を持っているかをちゃんと発信して、同じような意識を持っていただける仲間を増やす、それもまた一つの役割かなと思っています。

※この記事は、2025年9月に広報の一環として開催した「メディアクリエイター講座」にご参加の皆様が作成してくださいました。
>>>荒堀副園長のお話は、公式Instagramでもご覧いただけます。
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